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私達の方法で

試作はその後難航。アイディアとしての基本的な筋は悪くないと思うのですが、技術的な壁が立ちはだかります。壁なのかただの衝立なのかも不明。技術なのですから、何とかリーダーとかいうような現場を知らないお歴々よろしく「単なる技術的問題」などと枝葉で片づけられるものではありません。おおもとのアイディアがなければどうにもならないのはもちろんですが、技術的問題を解決できずに断念したアイディアはいくらでもあります。でも、今回は、きっと打開の糸口があるはず。

先週送った意見補正案の件で審査官から電話。ひさびさに辛いコメント。問題は、この出願そのものより、先日出願した分にもつながってくるかもしれないということです。でも、もう類似の先願が公開されちゃったので、出願済の枠の中で戦うしかない…得意の策を凝らすとします。

2週間ほど前から、よく聞いているラジオ局のNACK5でしばしば流れる曲。半﨑美子さんの「ロゼット~たんぽぽの詩~」。タンポポの生態や生存戦略を歌っています。

いま一緒に冬を越そう

私達の方法で

https://www.uta-net.com/song/300673/

タンポポは、踏みつけられても、侵略的外来種呼ばわりされても、たくましく生きのびているわけです。半﨑美子さんは、デビュー以来17年間、事務所等に所属せずに、ショッピングモールといった、いわば地べたで地道に活動されてきたそうです。それが、半﨑美子さんの「私達の方法」なのでしょう。

私の方法。それは、特許です。

人脈や家系や資産や学歴や社交性やルックスや空疎な能書きや話題作り能力やそつのなさやプレゼン適性や…といった、活動内容の本体とは何の関係もない派手なトッピングで幅を利かせている方々と、そのお追従に背を向けて、私に可能な最善の生存戦略として、特許で製造の独占権とオリジナリティの保証を得ようとしています。

特許を取ってる「アーティスト」は、いなかったわけではありません。写真黎明期のダゲールとかは、国家戦略とも相まって特許制度の華でした。その後もいろいろあります。イブ・クラインが「インターナショナル・クラインブルー」を特許登録してみずからの制作に使用していましたが、発明の内容は、古来の青の顔料であるラピスラズリを人工的に製造できるようにしたウルトラマリンブルーと大きな差はないようで、現在では、美術館の土産物として販売されることが稀にある程度で、技術体系への寄与はとりたててなかったようです。

あと、中ザワヒデキが特許とったとか、ある画家が画材か何かに係る特許をとったとかありますが、基本的に「特許」の権威を笠に着て箔付けして、無知な美術関係者をおさえこもうという虚仮おどし以上の意味はないと思っています。アート系の方々が、本業関連の特許権そのものを収益化につなげたという話は聞いたことがありません。さるメディアアーティストが、自身を出願人として5、6件特許出願したものの、全部拒絶査定になってしまい、自分の活動のオリジナリティをワザワザ公的に否定されていた件などは、なんともご苦労様なことです。彼らにとっては、特許も、人脈とか誰かのコメントとかいった、自身の価値を高めるためのトッピング的アクセサリーと同列のものにすぎないわけです。

私の場合、自分ですべてを作成する特許書類そのものが、みずからの公的な存在証明を求めるものといっていいと思います。アクセサリーではありません。もはや本体の一部をなすものです。ここにたどり着くまでに長い年月がかかりましたが、その期間の蓄積があったがゆえに、すんなりわがものにできた面もあります、真にわがものにできているかどうかは別として…。

これまでなかった技術をうちたてること、そしてその技術が、これまでになかった私だけのものであると認めさせること。この、私の方法で、脱出の機を待ちます。

言いつくせていない気がしますがひとまずここまで。

カテゴリー: 技術 知財

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