写真の暗室用品を処分しました。
写真関係の機材・資材は数年がかりで少しずつ減らしてきて、手間のかかる大物と雑多な小物類が残りました。この3カ月でビューカメラ2台とメインで使っていた大判用レンズを手放し、大判フィルムで通常の撮影ができる環境を完全に失いました(自作ピンホール写真器は捨てきれていないので撮影はできますけれど、もう使うことはないでしょう)。プロセッサも先ごろ売れ、そして本日、引伸機が旅立ちました。捨てるに捨てられなかった暗室関係の小物類もだいぶ引き取っていただき、倉庫がすっきりしました。近年整理したものの多くには予想外の高値がつきました。撮影用の機材と、暗室用品でも今後使うかもしれないものと、大規模な修理が必要なものは残してあります。
写真の技術には救ってもらいましたので、ありがとうと思う反面、未使用の薬品類をかなり捨てなければならないことや、多くのフィルムや印画紙を有効期限内に使いきれなかったことを思うと、みんな無駄だった、という思いが頭をもたげてきます。もちろんこれらに捧げた日々があって今があるのですが、あまりにも、あまりにも遠回りが過ぎました。
「どんな経験もあとできっと役に立つ、無駄になる経験はない」などとよく言われます。これは、1に、みずからの過去の努力が無駄ではなかったと思いこみたいがための記憶の書き換え、2に、人を励ますための方便、3に、積み重ねてきた実績の範囲外ではその先のキャリアを構築しづらいという可能性の減縮、からくる物言いであると、10年以上前から思っています。
1 いろいろと長いことやってきましたが、無駄な経験がないなどとは思えません。とはいえ、この先数10年でそれらがすべて有用だったと思えるようになる可能性はゼロではありません。今後大成功したら、いろいろあったけどみんなよかった、と思えるようになるかもしれません。それはすばらしいことです。しかし、現時点では、将来そう思うようになったとしても、それは過去の美化、記憶の修正だよ、とその将来の自分に申し送りしたいです。結果として過去の苦労が報われるかもしれませんし、ぜひそうありたいものですが、それは気持ちの問題であって、現実の得失とは別の話です。当時のネガティブな感情から遠ざかったから「あれはあれでよかった」と思えるのであって、また同じ事態に陥ったら当時の感情がぶりかえしそうです。でも、安全地帯にいる限りは、自分はまちがってなかったと思いたいんですよね。
2 「どんな経験も役に立つ」というのは、アドバイスとしては有用かもしれません。落ち込んでいる人には支えになるでしょうし、その効能を否定はしません。ただ、その効力は長く続かないような気がします。まったく別の業種への転職を重ねる人は、前職の経験が全部役に立つと思い続けられるのでしょうか。2、3社ならともかく、10社以上転職すれば、「また1から覚え直すのか」となるのではないでしょうか。もちろんいろんな仕事に共通するスキルはあるでしょうし、前に習得したことが意外な局面で役立ったと感じることもあるでしょう。そのような実例の印象が強いから、あとで役に立つ、と思えるかもしれません。でも、汎用性のない資格取得のための時間とか、その職場固有の業務の習得とか、実はあとあと役に立ってない努力も相当の割合でしょう。無駄な経験がないという人は、よほどうまくつながったか、それを都合よく忘れてるだけの話では。そのように比較的うまくいった成功者が、往々にして「どんな経験も役に立つ」とアドバイスする傾向が高いと思われますから、それは生存者バイアスの所産といえる面があるでしょう。
3 少なくともこの国では、年齢を重ねるほど可能性は狭まるとされています。知識やスキルの習得のための時間が限られていて、年齢を増すほど習得効率が落ちる以上、すでに獲得している知識やスキルの範囲内で対応できるような職種で何とかしようと考えるのが合理的です。それまでの蓄積を活用できるフィールドで次の居場所を探さないと、労働者としての価値は下がるばかりです。つまり、前職が役に立つような転職活動をしないと待遇は悪化する一方です。「どんな経験もあとで役に立つ」とは、前の経験を活かせるように先を考えろ、と読み替えられるべきかもしれません。そしてまた、多くの人は、仕事でいったん身につけた考え方に縛られてしまい、他に切り替えできず、それに価値を見出すので、それが通用する局面で「役に立った」と報酬感を得てしまうのかもしれません。
習得した写真の技術は、一部は役に立っています。撮影や画像調整のスキルといった実用的な面でもそうですし、写真制作で追求してきたものを、別のしかたで今実現しようとしているという意味でも大いに活きています。やること変えた人間の中では使えている部分が多い方だと思います。それでも、無駄にした時間が多すぎました。
でも、いちばん無駄なのは、「無駄が多すぎた」という過去への後悔に、今の時間を費やしてしまうことです。今の私のように。「無駄な経験はない」と思えることでこの時間の浪費を防げるなら、それが最大の効用かもしれません。もっとも、そのかわりに過去の追想と反芻に時間を注ぎ込んじゃったら、結局のところは同じことですが。
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